いでたち通信は点字に翻訳し、視覚障害者に配布されています。

   
 

いでたち通信 最終号

 

1.スタート!…ゴール!!               馬場 威力

 

リリスの北側の旧消防学校の建物で仕事をしていた一昔前の社協、その同じビルの一隅に開店した「いでたち」…社協の担当者から以下の依頼があった。
 横浜市からパソコン付きの6点点字プリンター一式が届いたので「いでたち」で使って欲しい、と。栄区周辺の各区の社協を訪ねて「点字プリンター」の活用状況を調査…ほとんどの区では使っていなくて参考にはならなかった。
 物好きの多かったスタート直後の「いでたち」…今では皆さん浄土へ転居されたけれど、宗像さん、桐生さん、井上さん、畠山さんが集まって「わいわい、がやがや」

 結論は「いでたち」の機関誌並みに読者から原稿をいただく投稿ベースの視覚障碍者版…南区の全盲の石上さんからは頻繁に原稿をいただいた。…月に2回の発行を目標にスタートした。が、そんなに甘くはなかった。
 1 視覚障碍者は栄区内にも沢山いらっしゃるはず…その実態を知ることはできなかった。
 2 視覚障碍者でも点字を読み書きできる人は限られている…盲学校で点字教育の実態を知りびっくり!
 3 ライトセンターで沢山の点訳出版をされていた…その出版物の多さに池袋の点字図書館を見学して驚いた。
 点字を読み書きできなくても、最新の電子機器の発達は視覚障碍者を十分に守ってくれるようである。

 

2.独居老人スタイル                  井上 道代

 

私は、「独居老人スタイル」という本を読み、生き方に対する考え方が、自由になりました。題名からさびしい生活をしているお年寄りを想像しましたが、自分らしく生き生きと暮らしている16人の生き方に感心しました。その中から、3人の生活を紹介致します。
◎磯村遜彦(やすひこ) (舶来居酒屋 昭和10年生まれ)24時間全部自分のために使えるんや」 独身、自由人で京都の祇園で、居酒屋を経営。お客さんにとって、酔っぱらいながら、磯村店主の映画や演芸講義や、古い京都の話を聞くのが、一番のご馳走。 月水金は、朝からジム。(38歳から40年欠かさず続けている。)火木土は、映画鑑賞。(16歳から41歳までは、年間2百本を切ったことはなく、この頃は170本ペ-)。夕方の開店まで自由時間。日曜や休日は、芝居鑑賞。東京でも、博多でもどこでも。次の日の昼頃までに帰れたらいい。僕の店にはいろんな人が来てくれます。「北大路欣也さん、勝新太郎さん、尾上松六さん、映画の監督さん俳優さん、祇園のお茶屋さん」など。
ブッチャリン (道化師 昭和25年生まれ)「歩くって、止まるのが少ないって書くんです。」チャップリンそっくり、チンドン屋ふうの太鼓を叩きながら、浅草の路地から路地へ歩くブッチャリン。全身から優しさと、はにかみがにじみ出ているブッチャリン。     ◎水原和美 (輸入用品雑貨店経営 昭和9年生まれ)「同年代の友達なんて、つまんないから一人もいない。」「うちのお母さんは、50歳年下の男の子達を従えて海外旅行に行っちゃうし、店も手伝わせるし、運転もさせるし、すごいの。」「お母さんと話したい子達が店に集まって来るの。でも、初心者は立ったまま。ベテランにならないと椅子に座れないの。店でお母さんの横に座るのが、鳥取のやんちゃな子達の憧れなの。」(お嫁に行った娘さんの話。)和美さんは、店の経営と洋服の仕立てで、7年間で1億円の借金を完済。その後すぐ、病気だったご主人が他界されました。(一人暮らし)

今回まで、会報の編集、投稿などで、ご自分の経験、考え方、新しく学ばれた事などをご披露して下さった方々にお礼を申し上げます。進が、退職後、人の役に立ちたいと点訳を学び、実施していた姿や、テレビで放送された会報を会員の方々に手渡している様子を思い出します。「いでたろう」料理を作り、お供えしてきました。

 

3.いでたち通信300号を祝う              中村 斉

 

 いでたち通信が、本号で創刊300号を迎える。なにはともあれ私達視覚障害者のためにご尽力いただいたことに心から感謝します。発刊の初期には毎月2回の発行でしたから大変な多忙の日々ではなかったかと思います。その上に読者の住まいを訪問され点字版を配布されていたことも特記したい。ボランティア活動の理想を求めたスタートでした。私は点字を読むことは出来ませんが、友人に私の住まう栄区には視覚障害者の為に電子版・墨地版・点字版の三種の版で発行している「いでたち通信」が在ることを誇らしく紹介したものだ。
 さて、残念なことに、「いでたち通信」は本号を以って発行を停止されるということだ。残念だ。発行を停止決定されるのは様々な理由があり発行者からのご説明もあることでしょうし一読者である私はコメントする立場ではない。むしろこれまでのご努力を讃えると共に心から感謝したい。この稿を書くに辺り手元にある初期の頃の数号をよみなおした。それぞれの記事がいきいきとしていて思わずひきこまれた。当時の読者も飛びついて「いでたち通信」を読んだろうことが想像される。いま一つの役割を終えて発行を停止される「いでたち通信」の編集に携わった総ての方方に大いなる拍手と謝意を送りたい。

 

4.いでたち通信発行中止に際し             石澤 洋一

 

この度「いでたち通信」が300号で発行中止となったこと、多少なりとも携わった者として大変申し訳なく思います。私はいでたちの視覚障害者支援チームに入り5年程経つかとおもいます。この活動は栄区視覚障害者福祉協会(以下、視障協とします)の月例会に参加すること、「いでたち通信」に携わることと知らされました。視障協に対しては月例会会場のセット・片付け,イベントの手伝い,社協助成金申請の手伝いなど、それなりにやってきたと思っていますが、点字の方は配達だけでした。初めの頃は、菊地さんが社協点字制作室で点訳機と格闘されておられるのを見てきました。自分も1日だけですが、二俣川のライトセンターにも行って点字の講習も受けました。しかし、その後、先に進みませんでした。そのうちライトセンターで長い間、ボランティアとして点訳本の発行をやられていた田中隆好さんがいでたち,及び視障協に入会され、作業のスピードアップを実感しました。これで安心という気持ちになりました。その田中さんが退会されることになり、これからどうなるのだろうと思っている矢先、廃刊の話が起こりました。先輩の方々が情熱をかけて続けられてことですが、点字の代わりにQRコードの普及などで音声で聞けるなど世の中が変化してきたことで点字読者が少なくなっている状況で、再び点字ブームが起こることがあればと考えます。

                               

5.編集後記

 

創刊号は平成13年4月24日に発行しました。冒頭には「ご挨拶 男のボランティアグループいでたちでは、先月、栄区の福祉保健活動拠点に設置されました、カナ点字用のパソコンとプリンターを使って、いでたち通信を発行することにしました。その目的は、目に障害をお持ちの方々に、適切な情報を、できるだけ早くお伝えすることです。皆様方のお役に立つような、いでたち通信にしていきたいので、是非、皆様方のご意見、お提案をお聞かせください。点字で結構ですから、井上進までご連絡ください。お待ちしております。いでたち代表、宗像普、編集長 馬場威力」となっております。
 その後いでたち通信は点字版を主体に月12回発行し、60号からは「いでたち」のホームページにも掲載を開始し、点字版、墨字点字版、墨字版、弱視者用墨字版、メール版、のほか123号からはSPコード版と多様な発行をするようになりました。また72号からは編集長に、今は故人となられた井上進さんが就任されました。
 内容も多岐にわたり、視覚障害者への情報、随筆、料理レシピ、俳句、健康情報などがありましたし、執筆者の方も障害をお持ちの方からも含め一般の方、いでたち会員など延べ1000人をはるかに超える方から頂きました。また、パソコンや点字プリンター、コピーの維持等は栄区社会福祉協議会のお世話になりましたし、用紙代や郵送費などは「いでたち」のお世話になりました。地元テレビ局の取材放映も複数回ありました。
 読者の方もメール版やspコード版の多数の方が読んで頂きました。肝心の点字版、墨字点字版もピーク時には12名の方にお届けしました。しかし近年メディア(情報媒体、情報手段)が多様化、手軽になり、点字関係の読者が減少し、意義が少し薄れるとともに編集者の点字知識の疎さや点字プリンターの不具合も目立つようになりました。
 そこでこの300回を一つの区切りとして、いでたち通信の発行を中止することといたしました。皆様の長い間のご協力、ご愛読を感謝いたします。ありがとうございました。

                                菊地 賢三

 

 


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