いでたち通信は点字に翻訳し、視覚障害者に配布されています。
 
  
 

  1.ヘレン・ケラー2 -サリバン先生-           馬場 威力

 1866年生まれの22歳のサリバンが、7歳の元気いっぱいのヘレンをボストンから1600キロも離れたアラバマ州の田舎町に訪ねたのは1887年。
 サリバンは、ヘレンの情報交換手段として、時間がかかる点字ではなく、聞きながら伝えられる指文字を選んで勉強させた。これは、情報発信のスピードから当を得たものであった。
 それまでは、物の名前を知らなかったし、それを表記することなど知る由もなかったヘレンに、サリバン先生は、物には名前があることを根気よく教えた。ヘレンは物と動作の名前の綴りを覚える…帽子・コップなどの物の名前、歩く、食べるなどの動作の名前などを覚えた。しかし、ヘレンには抽象的な物事の意味も表現方法もなかった…サリバン先生の活躍はこれを機に熱を帯びることになった。
 サリバン先生の指導の中で、特筆すべきものは、当時ノルウェーで聴覚障碍者の発声研究が一部成功したことを知って、ヘレンと一緒にボストンの聾学校の校長に読話と発声法を学んだ。
1)発音を、サリバン先生自身を教材にして覚えさせたこと…口に、舌に手を当てさせて、口全般の動きから発音させたこと。 その後、1894年から2年間、ニューヨークの聾唖学校で発声法の研究に没頭した。 
2)浮き出し線を使って文字を覚え書かせたこと。そのサイン「Helen Keller」が残されている。これは、後に20歳でハーバード大学に入学し、大学4年間、寝る間も惜しんでヘレンとサリバン先生、忙しく指先を動かし、タイプライターを打って勉強した時に大いに役立った。文字通り、血のにじむ思いの勉強を続けたものだった。在学中に聖書・ロビンソンクルーソー・若草物語・ベニスの商人などを読みこなし、常識豊かな女性に育っていった。後に米国内外での講演会などで「即時的」に情報交換が出来たことから、この時期の各種の勉強は、充分に成果を上げたと言えるだろう。

  2.筍の炊き込みご飯                    いでたろう

 材料二人分 米1合、筍80グラム、油揚げ半枚、万能ねぎ適量、{以下調味料類}砂糖大匙半分、醤油大匙半分、酒大匙1、みりん大匙1、白だし大匙2、和風顆粒だし小匙4分の1、
1.筍はいちょう切り、油揚げは短冊切り、万能ねぎは小口切りにする。
2.調味料類を合わせておく、
3.研いで30分給水させた米を、炊飯器に入れ1合炊きの水量にし、調味料類を入れる。
4.筍、油揚げを入れ、良く混ぜてから炊きあげ、その後10分蒸らしてから上下を返す。
 ポイント 砂糖、みりんが入るので、適当なおこげが出来る

 3.思いつくままの走り書き ―僕はうつうつとしている―    中村 斉

 僕はこの頃悩んでいる。僕は一年中ヘラヘラと大声で笑い一見楽天的な人間のように見える。時に発言したことにこだわったり、いわゆる空気を読みすぎて自分の意思を腹の中に押さえこんだりすることもある。
 この度の悩みは「令和」をめぐることなのだ。新しい年号「令和」が発表されたとき、音の響きがとてもよいし、その出典も万葉集の梅見の宴に読まれた歌の前書きの中より引用されたという。外国の通信社は、これを「令」order(命令)と訳したり、法律を整備してそれに従うと訳したりしたという。内閣府の公式な訳語はbeautiful harmony(美しきハーモニー)だそうだ。万葉集と聞いて国民は書店に走り、忽ちにして万葉集は売り切れ、版元は「万葉集」を増刷ときめたという。此の国の国民は極めて真面目で学習意欲旺盛。それはよいのだが、どうも簡単に操られやすいようだ。
 「万葉」を盾に操られているのではないのか。昭和16年12月8日開戦の臨時ニュースで朗詠されたあの2首も「万葉集」のなかの2首。梅の花は凛として咲くと戦中はもてはやされた。私は疑い深い人間なのだろうか、素直でない人間なのかとうつうつとしている。

 4.編集後記                        石澤 洋一

 最近、直木賞をとった「宝島」(著者 真藤順丈)を読んだ。戦後の沖縄を題材にしたものだが、ベトナム戦争の際は、沖縄から米兵を乗せた飛行機が飛び立ち、帰りには戦争に参加した兵士を連れ帰って来る。その兵士たちは気持ちが荒んでいて婦女暴行等が横行したとも書かれていた。今、辺野古に基地をつくる是非が問われているが、自分は普天間の危険性を除去するためには辺野古基地は止むを得ないのではないかと思っていたが、沖縄の人は新しく基地が作られること自体が嫌なのではないかと思った。


 


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