いでたち通信は点字に翻訳し、視覚障害者に配布されています。
 
  
     1.引揚70周年−満洲移民、品種改良、日中同窓生− (承前)

                           井上 道代 

 関東軍の要請で、対ソ防衛のための後備兵力と日本の農民過剰人口対策で、27万人が満洲に移住しました。過剰人口農家を満洲に送出した町村に、政府は多額の補助金を交付しました。関東軍は、中国人農民からの大規模な土地収奪をしました。日本人は、中国人農民が耕してきた広大な土地に入植して、牧畜、大量の雇用労働者を用いた大陸的農法を実施しました。 19458月ソ連が侵攻。ソ連の国境に近い北満は大変でした。終戦後中国人農民による報復行為にも遭いました。関東軍に置き去りにされた移民たちの中には、集団自決もありました。難民収容所で、栄養失調・罹病による死亡などその数は、78,000人にのぼりました。
 日本人は、寒冷地に栽培可能な米の品種を開発し、栽培方法も含めてその普及に力を注ぎました。終戦後は、中国人が、水稲作試験と品種の普及を引き継ぎました。
 1953年頃から、中国では、工業発展が重視されました。日本人の引揚に伴い、中国は技術力が不足しました。当時国交のない1958年旅順工科大学の同窓生中国人B氏の仲介で、日本人A氏は、同窓生の技術者(機械、電気、通信、鋼管、鋳造、自動車…専門技術者) を集めて訪中団を発足させました。現地では、契約内容まで話が及びました。A氏が訪中した頃は、日中関係が、極めて悪化した時期でありました。それにもかかわらず同窓生ネットワ−クを通した交流が実現しました。A氏は、日本に帰国する前に周恩来から招待を受けました。政治的に交流が厳しい時代であっても、かつての人的つながりは、有効に機能しました。
 1972年に日中国交正常化されました。
 

2.思いつくままの走り書き −初夢−           中村 斉

左脚を切断してから月に一度くらいの、いわゆる幻肢痛があるものの、それ以前の激痛にさいなまれることもなく、布団に入れば15分もすれば眠りについてすやすや・・・というわけで最近は夢をあまりみなくなった。
 そんな85歳の私だが、浮世に生きていればそれなりにドリームは持っている。突然まじめな話だが、障害当事者の団体特に地域に密着した団体のあるべき姿を考えるにつけても、叶えたい夢がある。それは当事者が日常的に利用出来る活動拠点の建設である。会議室、談話室、録音室と定員100人くらいの小ホールを備えた視覚障害当事者のための会館の設置が私の夢。
 そこで、何年か前から先立つ物は資金。「それならばジャンボ宝くじだ!」とばかり欠かさずその時点での最高額をゲットできるようにくじを買い続けてきた。あさはかな考えで、数学の専門家の義弟は、絶対に宝籤は買わないときめているし、家内も無駄使いは止めろという。しかし、皆さん、今回は、今回は、一金十億円、それが一万円札でどのくらいになるかはしらないけれど。実はこの稿を書いているのは12月20日だから、こんどは十億円当たると思い込んでいる。この次に、どこかで私にお会いになり「はずれちゃいました。ワハハハ」といわなかったらきっと当選したんだと思ってください。でも二三日前の夢見がわるかった。「空を飛んでいる鳥のふんが私に当たったのだ。鳥インフルに周囲のお告げか、それともウンがついたとのお告げか。さ〜て?
 

  3.編集後記                      菊地 賢三

 「白杖=全盲とは限りません」ストラップをご存知ですか。平成28年11月22日の朝日新聞の記事にありましたが、秦野市の渡辺さんが手作りし販売している、白杖に付けるストラップのことです。右目は見えず左目も視力は0.3だが視野に欠損がある方が、スマホを見ていて、「見えている、嘘つきジャン」との会話が聞こえてきたことが紹介されています。正しい知識を柔らかい雰囲気で伝えたい思いだそうです。


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