いでたち通信は点字に翻訳し、視覚障害者に配布されています。
 
  
 

 

1.引揚70周年―満洲の奉天              井上 道代

 
 私は満洲の奉天、現在の瀋陽育ちで、小学4年生の時に終戦になり、翌年の昭和21年に佐世保港に引揚げてきました。船の上から見た緑豊かな美しい日本の景色に、心が踊ったのを今でも鮮やかに思い出します。
  終戦時、20歳の人は、91歳、30歳の人は101歳で、もう、実体験を聞くのは困難です。現在、若い学者が、 会報、新聞、雑誌、体験者の手記、写真など残された記録を基に引揚を歴史としての研究に取り組んでいます。本年1020日に銀座ブロッサム中央会館で引揚70周年記念の集いが、開催されました。そして、若い研究者と引揚時まだ子供だった人達の話を聞きました。
 終戦時、満州国の日本人155万人。その内、開拓移民は27万人。引揚前の死亡者約8万人。昭和21年から100万人以上が、日本に引揚げました。日本政府は、船舶・食糧・住宅不足などの為、現地での自活を望みました。敗戦国日本は、外交手段として他国との交渉はできなかったのです。中華民国では、国民党軍と中国共産党軍とが戦っており、その戦いに日本人が参加すると困ると考えたアメリカが、引揚を推進しました。奉天は、1905年帝政ロシアの利権を引き継いだ鉄道付属地600ヘクタ−ルの荒野を満鉄が当時として理想の街造りをした都市です。奉天駅は、東京駅の設計者辰野金吾の弟子太田毅の設計で、東京駅とそっくりでした。東京裁判では、満洲で行なった産業開発は、植民地支配である。という見方を勝者の側から決め付けられ、日本人は、悪かったと卑屈になっていました。しかし、その後1952年の講和条約発効によって日本が独立する頃には、『歴史的評価』が現われてきました。
 中国・朝鮮半島への賠償に対しては、日本が残してきた産業資産や社会インフラをもって相殺されました。台湾生まれの黄文雄は、満洲国の遺産は、中国の重工業の90%を支え、社会主義建設の経済的基礎となった。と述べています。父を含めて満洲で、一生懸命に仕事に携わった人たちの努力が報われたと思いました。(つづく)

 

2.豚ステーキ               畠山 工 (御遺稿)

 素材分量2人分、 
 豚ロース肉切り身2枚、オクラ1パック、玉ねぎ半分、しょうが1片、酒大さじ2、片栗粉小さじ2、サラダ油大さじ2、砂糖大さじ1杯半、しょうゆ大さじ2
 (1)豚肉は数箇所ほど包丁を入れて筋を切り、片栗粉をまぶす。
 (2)オクラはヘタを切り落とす。
 (3)しょうがと玉ねぎはすりおろし、調味料と合わせてたれをつくる。
 (4)フライパンにサラダ油を熱し、肉の両面をこんがり焼いて取り出し、オクラも焼く。
 (5)余分な脂をペーパータオルなどで拭き取り、肉を戻し入れ、たれを加えて全体に絡ませる。
 エネルギー471キロカロリー、 塩分 2.5グラム 

 

3.思いつくままの走り書きー畠山工さんを偲ぶー      中村 斉

 
 去る10月29日、元栄区視覚障害者福祉協会会長でパソコンに関する知識が極めて豊富で、私もご指導をお願いしていた畠山 工(たくみ)さんが逝去された。享年63歳だった。知る者誰もが「え、ホント」と信じられないほどの若さだ。
 彼が63歳で旅立ったとするならば私が彼に出会ったのは未だ40歳台であったのだろう。決して能弁ではなくむしろ寡黙の方だったが、自分の意見を述べるときには筋道を立て熟慮した見解をきっぱり述べる人だった。だからT会長が転居のため区の視障協会長を勇退されたとき、私は迷わず次の会長に畠山さんを推挙した。会員全員の推挙で会長に就任したのだが、彼が第一に提唱したのは、会則の改正だった。彼の改正案のポイントは総会の開催に関するものだった。それ以前の会則では、「毎年、年度のはじめに定期総会を開催する」とあり、臨時総会にはふれてなかった。彼の改正案は「会員の三分の二以上の提案で臨時総会を開催することができる」と会則に明記することであった。言外に「自分は一生懸命に会長の役を務めるけれど、もし自分の舵取りが望ましい方向ではなかったら、臨時総会を会員自身で招集し会長をリコールしてくれ」という思いがこめられていると理解した。つまり彼は退路を絶って「がんばるぞ」の意気ごみを示したのだ。
 今年栄区は区制施行30周年となり区政功労者を表彰したが、彼はその一人に選ばれた。内定をうけ、現副会長の私に遠慮しがちに報告されたのだが、残念ながら彼の表彰状を手にした姿を披露せずに旅立ってしまった。思い立って先日ウエブに彼のホームページとブログを検索した。声こそ録音されてはいないものの彼一流のユーモアの溢れる言葉が掲載されていた。私はしばらくホームページを読み、それを閉じてから、手を合わせて心の中で称えた。南無 妙法蓮華経と。

 

4.編集後記                       菊地 賢三

 
 本年最後のいでたち通信をお届けいたします。奇しくも畠山様の最後の御遺稿と共にお届けいたします。畠山様からは毎号メールにて原稿を頂いておりましたが、前月20日の締め切りに対して十分に余裕をもって頂いておりました。今号に限っては10月23日に頂いており、ひと月も前に頂いておりました。また中村さんも書いておられますが、畠山様の功労者表彰は畠山様の関係者の方に御遺贈されております。
 畠山様の料理のレシピの御投稿は平成13424日のいでたち通信創刊号に「レシピの紹介パスタめし、お餅であんみつ」以来連続して頂いており、最長のものでした。
 私自身もこのいでたち通信でのお付き合いや、いでたち月例会等への送迎をやっていたこともあり、張りをなくした気分であります。



 
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