いでたち通信は点字に翻訳し、視覚障害者に配布されています。
 
  
 

1.近江路の歴史散策                      森 健二郎

日本一の琵琶湖を持つ滋賀県、ここは歴史を直接感じる地である。地理的に東西に美濃、京、大阪、南北に奈良、若狭、越前に囲まれている。県内では、湖南に石山寺、三井寺、湖西に比叡山延暦寺、湖央に近江八幡がある、湖北には彦根城、小谷城、米原と近くに関ヶ原と散策に見所が多い。私は以前湖南に三年住んでいた、休日には湖西線や坂本石山線に乗って薄れゆく時代を感じながら散策して廻った。
 時代の雄はなんと云っても織田信長であろう、信長は桶狭間の戦いで今川軍に勝利した後、那古野城から清須城、稲葉山城そして安土城と居城を移し、京を目指した。天下布武と云う明確な方針、圧倒的なカリスマ性と決断力により領土を拡大した、その足跡を近江で知ることが出来る、畿内を平定する為北陸、関東と京を結ぶ交通の要衝となる大津から坂本、近江八幡、彦根、米原、長浜に重臣たちを配置した琵琶湖の水路を含めた重要拠点としたことがよく分かる。一方人事でも戦果の無い武将は身内といえども容赦なく切り捨て、秀吉のような、云わば「中途入社」であっても戦績が良ければどんどん出世させ実力第一主義に徹していた。応仁の乱以降、全国に群雄割拠する乱世で下剋上が相次ぎその先に京があった、何人もの武将がこの近江の地を行き来したのだろうと私は瀬田の唐橋の上から琵琶湖を見つめながら思ったものだ。
 そもそも何故に歴史にこだわったのか、これより少し前武蔵の国川越に居た時、近くに東明寺という寺があり何気なく入ったこの地が川越夜戦場だったとする石碑を見て文献で詳細を調べた。北条領地に扇谷上杉が攻め入った戦いで劣勢の北条氏康が夜戦を仕掛け大逆転で勝利し関八州の覇者となった、桶狭間の戦いの15年前のことである、私にはこれがきっかけとなった。信長をもう少し追って見る、長篠の戦いに勝利し武田を滅亡させた後、天下統一直前に臣下の謀反に倒れた、しかし信長の四天王として信頼を得ていた明智光秀の謀反の理由は諸説あるものの信長公記でも明らかにされておらず現在でも謎のままだ。栄華を誇った安土城、今は僅かに石垣と石段が残るだけで信長と共にその姿を消した、新たな時代を切り開いた戦国大名は秀吉、家康に受け継がれ戦国時代は終わったが第一人者は紛れもなく信長であろう。
 湖北には長浜、賤ヶ岳、小谷城があるもののまだ足を運べていない、春風駘蕩が間近だ。行ってみたい気にさせる旧友の便りが届いたのです。

 

2.きのこと厚揚げのサッパリ煮                   畠山 工

素材分量4人分、 

厚揚げ2枚、豚こま切れ肉150グラム、エリンギ1パック、万能ねぎ4本、水菜適量、しょうゆ大さじ2、砂糖大さじ2、ほんだし小さじ2、酢大さじ3、サラダ油大さじ1、七味唐辛子適量、
  (1)厚揚げはタテ半分に切り、2センチの幅のそぎ切りにし、熱湯を回しかけて油抜きをする。 (2)エリンギはタテ半分に切り、1センチの厚さ、4センチの長さに切る。
 (3)万能ねぎと水菜は4センチの長さに切る。
 (4)フライパンにサラダ油を熱し、豚肉を入れて炒め、カップ1杯弱の水と調味料、厚揚げを加えて蓋をして中火で3分位煮る。
 (5)エリンギを加えてさらに3分位煮る。
 (6)万能ねぎを加えてひと混ぜして火を止め、七味唐辛子をふって、仕上げに水菜を散らす。エネルギー230キロカロリー、 塩分2グラム、

 

3.思いつくままの走り書き−平和を希求する              中村斉

若いニュースキャスターが「明日3月10日は、東京大空襲の日です 忘れないでください」と懸命に叫んでいたが、残念ながら心に呼びかけるものは感じられなかった。あの残酷さは伝わっては来なかった。
 以前にもこの欄に書いたことがあるが、まるでボクシングのワンサイドマッチのように、コーナーにつめられた日本が連合軍の攻撃に抵抗することも無く、パンチを受けてグロッキー状態だったあの頃、私は中学校入学前後の軍国少年だった。あの東京大空襲の夜も、横須賀の自宅近くの京浜急行の線路に上り東京湾をはさんだ6、70キロ離れた東京が燃えあがり、空を真赤に焦がしている様をアメリカヘの憎悪の念を増幅させながらも呆然と見ていたものだ。
 空襲警報が発令されたら登校せず自宅待機、と指示されていたので、5月の横浜大空襲は登校の途中の高台で真っ黒に立ち上る煙を、友人と見つめていた。直接の大きな被害を被ったわけではないが、焦土と化した東京や横浜の街をこの目に焼き付けた。浮浪児の群れや浮浪者がガード下等でごろ寝している様もみて、戦争の悲惨な状況も目にした。「日本は国際間の問題解決の手段として武力は公使しない」と新憲法を理解するためのパンフレットを、授業中に何度も斉読し、記憶した。昨日の事の様な記憶だ。あれから70年政治家は若返った。多くは戦争を知らない人たちだが、「日本を普通の国に生まれ変わらせるのだと大きな声を張り上げる。人類最高の憲法と学習し、誇りにして来た日本国憲法の精神を否定されるのは我慢が出来ない。ここで防衛について語ろうとは思わないが、百害あって、ただの一利もない戦争への舵を切ることは絶対反対だ。
 過去の戦争の中で障害者がどのように処遇されたか、真実を知ろう。戦後70年と言うのに先の大戦に散った英霊の異骨の収集を進めない政治が人の生命を何と心得ているかは察しがつく。若い人の意見に従うのに吝かではないが、70年前の軍国少年に戻ることは出来ない。平和ボケと笑われようと平和を希求する私である。

 

4.編集後記                           菊地 賢三

 先月初めに同世代の4人の友人とネパールに一週間ほど観光旅行に行ってきました。首都カトマンズは標高1300mですが、緯度が奄美大島と同じで、東京より暖かい気候です。乾季の最後のころでした。遊覧飛行で見たヒマラヤの山々は美しく、大きく、重層的でした。人々は経済的には貧しいそうですが、物売りの人たちも他国と違い強要することもなく、大人しい感じが日本と同じでした。日本と同じような庭箒の先端部分のようなものがあるのですが、掃き集める目的でなく掃き出すために使われているのが少し残念でした。


 
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