いでたち通信は点字に翻訳し、視覚障害者に配布されています。


1.  1. 続・歩け、歩け  井上 進
   健康維持に歩くのが有効という、前号の菊地さんの意見に全く同感です。私は10年ほど前、椎間板ヘルニアと腰椎管狭窄症と診断され、足のふくらはぎが痛く、歩行が困難となりました。そのとき医師が薦めたのは「歩く」ことでした。「傷ついた骨は治りません。しかし歩くことによって周りの筋力をつければ、痛みは取れます」と言うのです。歩けといっても痛くてどうしようもないのに。そうこうするうち、腰を前に傾けると痛みが少し和らぐことに気づきました。医師はうば車を押して歩いたらと言うのですが、そんな恰好の悪いことはできません。そこで上り坂道を選んで、自転車を押して前かがみの姿勢で歩くことにしました。痛みをこらえて、雨の日も含めて毎日1万歩、それを約1年続け、痛みを克服しました。医師に報告すると、「そうでしょう。人間の体はよくできているのです」と言いました。
 人によって体の事情は異なりますが、概して歩くことは筋力の維持・向上、メタボや高血圧、糖尿病などの病状改善にもきわめて有効です。歩きましょう。

2.  冬瓜のしょうが煮 畠山工
 素材分量2人分、 
冬瓜80グラム、鶏ささ身1本、しょうが半片、プチトマト4個、だし汁1カップ半、酒小さじ2、
しょうゆ小さじ1、塩少々、
(1)冬瓜はわたを取り除き、皮を薄く剥いて薄切りにする
(2)鶏ささ身は筋を取り、そぎ切りにする。
(3)しょうがは皮を剥き、せん切りにする。
(4)プチトマトはヘタを取り除く。
(5)鍋に出し汁を煮立て、冬瓜、ささ身、しょうがと酒を入れて蓋をして熱する。沸騰したら弱火にして15分位煮る
(6)プチトマト、塩、しょうゆを加え、ひと煮立ちさせて出来上がり。
エネルギー44キロカロリー、 塩分1グラム、

3.  一句拝見(いでたち6月いろは句会より)
新茶土産遠来の友訪ね来し      じゅんのすけ
蛍狩り声は隣の人であり        おさむ
草茂り中州の径をふさぎおり      まさひろ
紫陽花の雨に打たれて風情かな   よしお
紫陽花の下田一山埋め尽くし     きよし
紫陽花の鎌倉古道切通し        たけこ

4. 「思いつくままの走り書き」(113)―発信しながら―
中村 斉
  私がまだ晴眼だった頃、ご自身達を「脳性マヒ者」とよび、積極的に活動する障害者の団体があり、上半身裸になって、集団で街頭に出て、路行く人々に「理解と生活の保証をアピールしていた。活動を警官に一部規制されたり、一般の人々の目にはあまりに強烈に映ったせいか新聞が取り上げ連日のように報道していた。私は一度だけ彼らが駅前の広場で行動している場面を垣間見た事があった。彼らの心情は充分理解できるものの「そこまでしなくても」というのが正直な感想であった。その「闘う障害者」の印象はいまでも、まぶたにくっきりとうかぶ。しかし自分が障害者と呼ばれる身になって、この訴え方は、あまりに強烈だったと思う。当時は「闘う障害者」と「愛される障害者」という二つの立場のいずれに自分を置くのか秤にかけ利と不利をみわけなければならなかったのだろう。「お前は身体を張って訴える勇気があるか」と問われたら「勇気」ならあるが、裸になって身をさらして視覚障害を理解していただくのは困難だろうと考える。もちろん障害について発信しなければ理解を得ることはできない。
 昨年来学校での「福祉教育」で小学生諸君に語りかけたり、民生委員さんの研修会で視覚障害についてお話する機会を与えていただいて感じた手ごたえで、やはり視覚障害は、言葉を選び心を込めて真実を伝えるのが選ぶべき方法といまは思っている。勿論視覚障害に関する情報をみなさんに発信しつづけながら、闘う障害者ではなく、またこびを売って「愛される障害者」になることを望むのでもなく、ごく普通の社会の一員でありつづけたい、また社会もごく自然に障害者を受け入れ支援の手をさしのべる世の中になってほしいと思っている。JULY 1 2012

5. 編集後記 井上 進
 若いころの一時期、社交ダンスに凝っていたこともあつて、今でも時折「タンゴ」の演奏会を聴きに行っています。
ご存知のように「タンゴ」にはブエノスアイレス発祥の「アルゼンチン・タンゴ」と、ヨーロッパに渡って変化した「コンチネンタル・タンゴ」があります。前者ではラ・クンパルシーター、エル・チョクロ、後者では碧空、小雨降る径、などに代表されるように、「アルゼンチン」はメロディが、「コンチネンタル」は歌曲が曲の中心にあるような気がします。いずれもタンゴ演奏には欠かせないバンドネオンのチャッ、チャッ、チャッの響きとピアノ、弦楽器の旋律に胸がおどるのです。
 その演奏会に行き、何時も気になるのは聴衆のほとんどが中・高齢者で若い人がいないことです。無理もないと思います。「タンゴ」の最盛期は戦前、戦後の一時期ですから、若い人になじみが薄いのです。主催者に聞いてみたら、「それが悩みの種です。これといった打つ手もないので困っています」とのことでした。このまま廃れてしまったら寂しいですね。

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